2022/07/22
キャンプ
キャンプ】人間の「弱さ」と、変われない「自分」
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Contents
Merry Christmas
僕は基本、好きなアーティストの曲ばかり聞いている。とりわけ好きなのはやっぱり、BUMP OF CHICKEN。このバンドはボーカルの藤原基央、通称藤くんが主に作詞作曲を担当している。藤くんが描く歌詞は非常に深い(僕の語彙力ではその深さを到底伝えきれない)ものが多く、それゆえ多くの人を魅了している。
思い返せば、僕が今ほどBUMPのことを好きになったのはMerry Christmasという曲を知ってからだった。この曲では終盤、以下のような歌詞がある。一部引用させていただきます。
信号待ち 流れ星に驚く声
いつも通り見逃した どうしていつも
だけど今日はそれでも うれしかったよ
誰かが見たのなら 素敵なことだ
(作詞作曲:藤原基央, 2009年BUMP OF CHICKEN「Merry Christmas」より引用)
クリスマスの夜、にぎわう通りを一人歩く登場人物。「誰かと楽しく過ごしたい」「幸せになりたい」とさみしさをおぼえつつも、終盤では周囲の人の幸せに対し喜びを抱くことができた。そんな情景が浮かぶ。
「ほう、結局そういうハッピーエンドで終わるのね」。この曲を初めて聞いた冬。僕はどこか残念感を感じたのをおぼえている。
しかし、その後歌詞はこう続く。
そんな風に思えたと 伝えたくなる
誰かにあなたに 伝えたくなる
優しくされたくて 見てほしくて
すれ違う人は皆 知らない顔で
(作詞作曲:藤原基央, 2009年BUMP OF CHICKEN「Merry Christmas」より引用)
僕の予想は吹き飛ばされた。「そんなふうに思えた」という自分を見てほしいんだ。認めてほしいんだ。でもそれを伝えることもできなければ、大声で叫ぶこともできない。必死で押し殺した自分の本心に襲われる。そんな人間の切ない部分を的確に言い表しているように感じた。この時藤くんの感性・表現力に改めて、いやそれまで以上に敬服したことを今でも思い出す。
人間の「弱さ」
他の曲を聞いていても、藤くんはこうした「人間の弱さ」を描く天才だと思うし、心底尊敬している。作詞家としても人間としても。
※ここで、いつかこれを見返した時の僕が勘違いしないように補足。ここでいう「弱さ」は、何も承認欲求をもっていることや悩みを抱えていることそのものではない。そうではなくて、それを誰かに伝えたい、大声で叫んでやりたいのにそうできなくて、自分を押し殺してしまう人間心理のことを言っているつもり。決して「貧弱」の意味合いではない。
「弱さ」は少なからず、「こんなこと話すのは相手に迷惑かも」「世の中私よりつらい人もいるのに、こんなことで」というような他者を思う意識に起因すると思う。そして同時に、まじめで優しい性格だったり、周囲からの刺激に敏感な体質である人に顕著ものだとも思う(まじめで優しい、という表現はあまり好きではないけれど、わかりやすいのでそのまま書くことにする)。
変われない「自分」
こんな記事を書いている時点で自明ではあるが、僕もその一人である。そして僕は、本心を簡単に顕示できてしまう人に対し「無神経だ」と思ってしまう自分が嫌いだ。「僕はこんなにもつらさを我慢しているのに、なにお前はそんな軽々しく相談してるんだ」「お前は僕のように、少しでも相手の立場になって考えたりしたのか」みたいに、どうも嫌な感情がわいてきてしまう。
その人が悪いわけでは決してない。世間一般に見たらむしろそれが普通であることも、それができた方がいいに決まっていることも、頭では理解している。明らかに「嫉妬」だ。だからといって無神経に振る舞うこともできない。
だからこそ、それができない「自分」、それができる人に嫉妬してしまう「自分」には嫌気がさす。でも、それはきっと仕方がないことなのかもしれない。そういう性格、体質だから。「自分を変える」というのはやっぱり難しい。自己啓発本の数冊で自分を変えられるならどれほど楽だろうと思う。
だから僕は僕自身に対して、そしてあなたに対して、「弱さを克服できるように努力しようね」なんて無責任なことは言えない。それで変われるのならば、僕はこんな文章など書いていないだろう。
変えることも投げ出すこともできない。そんな嫌いな部分も含めて「自分」という存在は構成されている。僕たちはそれを、一生をかけて背負っていくことになるのだろう。
お互いがんばりましょうね。それでは。
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